"低空経済"という新しいキーワード
前回に引き続き、香港で開かれたInnoEX Hong Kong (日本のCEATECのようなテック展示会)のレポート。
中国各地の州政府や自治体が競うように自分たちの取り組みを展示するフロアを歩いていると、「低空経済」の文字が誇らしげにあちらにもこちらにも見えてきます。
低空飛行な回復が見えない経済ではなく、一般に飛行機が飛ぶ高度よりも低い高さの経済圏にドローンなどを飛ばして便利に使いましょうという意味ですね。

江蘇省のブースでは、蓮の花を模したドローンの着陸ステーションがそびえ立ち、複数のドローンが正面の一等地を飾っています。
広東省のブースには翼幅4m以上のVTOL(垂直離着陸)機が誇らしげに展示されていました。貨物だけでなく有人飛行も計画されているのだそう。

これらを眺めていて気づいたのは、単なるすごいドローンが展示されているだけではないぞということ。省・市・特区がそれぞれ"自分たちの空域の先進度"を競って見せ合うショーケースになっているんですね。
「うちの方が先進的だ」「うちの実証実験の方が規模が大きい」「うちの方が実用化に近い」——まるで地方自治体が工業団地を売り込むような熱気で、各地域が空域開発の成果を競い合っている。自分たちの地域の空を売り込む現場だったんです。
まず知っておきたい「低空経済」の現在地
「低空経済」、英語では"Low Altitude Economy"という言葉を初めて聞いた人も多いかもしれません。でも実は、この分野はすでに「未来の話」ではなく「現実のビジネス」として中国の都市生活に根付き始めています。
実際に深圳を歩いてみると、その現実感に驚かされます。オフィス街のランチタイムには、美団(Meituan)のドローンが頭上を飛んで温かい麺料理、KFCやタピオカドリンクなどアプリで注文したものを運んできます。従来なら20分かかっていた配送が、ドローンなら7分で済む。
こちらの動画をご覧いただくと、期限付きの実証実験ではなくてすでにサービスとして提供されているんだとご理解いただけると思います。
低空経済とは、高度1000m以下の空域を活用した経済活動の総称です。 ドローン配送から空撮点検、eVTOL(電動垂直離着陸機)による都市間移動まで、多岐にわたるサービスが含まれます。
深圳に見る産業クラスターの実態
深圳市だけで1,730社以上のドローン関連企業が活動し、年間の生産額は960億元(約2兆円)に達しています。これは日本の全ドローン市場の10倍以上の規模です。
特に注目すべきは宝安区の「低空経済産業公共服务中心」。1.78万㎡の施設内に展示センター・飛行管制プラットフォーム・企業支援サービスを集約し、Lilium(ドイツのeVTOLメーカー)のアジア太平洋本部や智航無人機などの有力スタートアップが常駐しています。
私がイノベーションアナリストを務める欧州最大のモビリティに特化したイノベーションハブ、The Driveryに入居するドイツのスタートアップで、ドローンの着陸ステーションや運行、着陸技術を持つ企業がいますが、彼らもこの深圳を拠点に開発、中国市場での活動を展開しています。
日本のスタートアップAeronextも2019年から深圳に現地法人を置き、重心制御技術「4D Gravity®」で飛行安定性を30%向上させた物流ドローンを開発していることです。日本では規制の壁に直面することの多いドローン技術が、深圳では実用化の舞台を得ているという興味深い現象が起きています。
主要プレイヤーの活動例:
- 美団無人機:宝安区で20路線を開設、21万件の配送実績、配送事故ゼロを達成
- 峰飛航空科技:深セン・珠海間eVTOL飛行に成功(陸路3時間→空路20分)
- 智航無人機:消防局との共同開発で山火事初期消火成功率78%達成
- Aeronext:「4D Gravity®」技術で日中米で計23件の特許を取得
兆円規模の成長市場
中国全体の低空経済市場規模(中国民用航空局の予測)は:
- 2023年:約5,060億元(約10兆円)
- 2025年予測:1.5兆元(約31兆円)
- 2035年予測:3.5兆元(約72兆円)
この数字だけ見ても、単なる「ラジコンヘリ」や「ガジェット」の話ではないことがわかります。バイオ産業や宇宙産業と並んで「新質生産力」として中国の政府活動報告に明記され、国策として位置づけられているレベルの巨大さですね。
なぜ今、国を挙げて推進するのか
理由は大きく4つと言われています。
都市交通の効率化:地上の交通渋滞を回避し、物流や移動の時間短縮を実現。深圳の事例では配送時間が平均50%短縮されています。上海や他の都市でもドローン配送の取り組みが活発化。
産業の裾野拡大:ドローンやeVTOLには電池・通信・AI・材料技術など多くの要素技術が必要で、関連産業への波及効果が大きい。
雇用創出:深圳だけで年間500名のドローン操縦士を養成するプログラムが動いており、新しい職種が生まれています。
国際競争力:2024年時点で低空経済関連特許1.4万件のうち30%を深圳企業が握っています。技術標準の主導権を取りに行く、競争力の根源になろうとしています。
つまり、香港のショーで見た「低空経済」の展示は、すでに深圳で日常風景となっているサービスのもうちょっと先の延長線上を見せていたということです。「いつかこんな機体が飛んだらいいなあ」というコンセプト展示」「実現するかもしれない未来技術」ではなくて、「隣の都市で既に動いているビジネス」の話なんですね。
この現実を踏まえて、改めて各地域の展示ブースを見てみると...
この中国本土の流れは香港にも
香港にもこの低空経済への取り組みは波及している。低空経済規制サンドボックスがスタートアしており、38の実証実験プロジェクトが進行しているとのこと。以下の写真の着陸ステーションGODOはその1社。

印象的だったのは、香港の離島救急搬送の事例です。従来なら本土から船で95分かかっていた緊急患者の搬送が、有人飛行のeVTOLなら4分で済む。


写真上:操縦士1名と5名の乗客が乗れるという大型の機体を投入する計画
これは「命を救うインフラ」です。上空100mには"小荷物宅配"から"空飛ぶ救急車"まで一気通貫で配置されつつあり、新しい空の道路を敷設するインフラの話になってくるわけです。
ここまで真剣な取り組みの事例を見せられると、「ドローンなんて趣味の延長でしょ」とは言えなくなってしまいます。
地方政府は投資額・空域開放面積・雇用創出を競い合い、中央政府から「先行区」の看板を獲得しようと必死です。これは日本でいう「特区認定」の争奪戦のようなものですが、対象が「空域」だというところが新しい。
まさに空中戦ならぬ、空域争奪戦が繰り広げられているわけです。
周辺エコシステムの活性化:裾野産業が同時進化
さらに興味深いのは、機体だけでなく周辺のエコシステムが同時に進化していることです。
i-Kingtec「蓮」ドックは、発着・充電・5Gビーコンを一体化したステーション。
蓮の花びらのような美しいデザインですが、機能は実にクール。空からドローンが自動で着陸して充電し、次のミッションのデータを受信して、また飛び立っていく。まるでスマホの充電スタンドの空中版です。

LionYao固体電解質の展示では、従来のリチウムイオン電池の2倍のエネルギー密度を実現し、航続距離500kmを可能にするとアピールしていました。

ハードだけでなく電池・通信・AI管制までが同じパビリオンに並ぶ光景は、かつてのスマートフォン産業立ち上がり期に近い"垂直統合クラスター"を彷彿させます。深圳がスマホの聖地になったように、今度は「空のデバイス」の聖地になろうとしているのかもしれません。
通信キャリアとクラウド拠点が握る"空のデータ"
China Mobileは「低空経済能力應用庫」と題したUTM(無人機管制システム)+5G APIを公開していました。これは単なる通信サービスではなく、空を飛ぶすべての物体を一元管理するプラットフォームです。

貴州省ブースでは「全国一体化算力ネットワーク八大拠点」として、都市・空域データを収容するクラウド基盤を提示。山の中にある巨大なデータセンターが、全国の空域データを処理するハブになるという構想です。

Huawei × DeepSeekの展示はさらに興味深いものでした。「Intelligent Campus 2030」を披露する一方で、「DeepSeek一体機(FusionCube A3000)」という"算力家電"を公開していたんです。これはモデル開発→推論→保存を1ラックで完結させる装置で、リーフレットには「単節点起動で水平拡張、モデル訓練を業界特化テンプレートで高速化」と書かれている。

つまり、China Mobileが5G帯域で空域通信を押さえる一方、Huaweiは空域データの処理・保存・分析まで丸ごと提供する。低空経済は単なるドローン産業ではなく、都市OSごとHuaweiクラウドに載せ替える巨大商談の場でもあったということです。
実際にInnoEX 2025の公式テーマでは、Huaweiが「Accelerate Industrial Intelligence」の中にLow-altitude Economyを標準メニューとして組み込んでいました。これはもはや地方政府向けの「パッケージ商品」として確立されているということでしょう。
画面には「火災を早期に感知」「消防車が出動する」といった情報が次々と表示される。でも、これって本当に「火災対応」や「防犯」のためだけなのか?
空・街・雲を縦串にした"都市OS"を中央主導で設計する青写真が透けて見える中で、ふと気づいたことがあります。これは単なる「便利なインフラ」の話を超えて、「街角、路地の片隅で何が起きているのか、公共セクターが都市全域をリアルタイム把握できる設計」なんじゃないか、と。
ドローン配送や空飛ぶタクシーは確かに便利です。でも、その裏側で構築されているのは、都市の隅々まで見渡せる巨大な広域センシング基盤でもある。それを「便利だ」と受け入れる?
徹底した市民のプライバシー配慮という、欧州的な考えとはだいぶ違う方向性のようです。
EU規制との対照:アノニマイズ必須か、リアルタイム把握か
この方向性の違いを整理するために、EUの規制と比較してみました。
EU域内でドローン映像を商用利用する場合、顔や車両番号の匿名化(GDPR+AI Act)がほぼ必須です。プライバシーを守るために、映像データの一部を意図的に「見えなく」している。
でも今回の中国モデルは、リアル映像と位置データを省・国家クラウドへ収斂し、リアルタイムで可視化する設計を前提にしている。つまり「全部見える」「全部記録する」「全部分析に使用する」という方向です。
- 利便/統治一体型:中国
- プライバシー優先型:EU
- 安全担保型:日本(現状は人の頭上を飛ばさない)
三者三様の"線の引き方"が際立ちますね。
中国の展示を見ていると、確かに便利そうです。一方で、欧州はその便利さを取らずに市民のプライバシーという権利を優先させた。プライバシー配慮はイノベーションを阻害する?そんなことを考えずにはいられませんでした。
問いで締める──誰のための"スマート"か
中国は「便利・産業振興・安全」を全面に掲げつつ、空域データを国家クラウドへ取り込み、規格を既成事実化しようとしています。
一方、日本はドローン飛行は「迷惑」というレッテルを貼ったまま、山間部や屋内で実証を続けているのが現状です。「人の頭上は危険だから飛ばしちゃダメ」という慎重なアプローチは安全面では正しいけれど、イノベーションのスピードという点では明らかに後れを取っている。
皮肉なことに、日本で「人の頭上を飛ばしちゃダメ」と規制されている間に、日本やドイツのスタートアップは深圳で花開いている。技術は日本や欧州発でも、実用化は中国の土壌でという現象が起きているんです。これらのスタートアップの技術は、国際特許を取得している。技術力は決して劣っていないのに、実用化の舞台を海外に譲っているという現実があるわけです。
でも、ここで考えたいのは、果たして日本もこのまま追従していくべきなのか、それとも独自のプライバシー設計を武器に、"小さな空域OS"を世界に提示する道があるのか、ということです。
かつて日本は、ガラケーという独自の進化を遂げて世界から取り残された歴史があります。でも今度は、プライバシーと利便性のバランスを取った「第三の道」を示せるかもしれません。深圳で成功する日本企業の事例は、技術力では負けていないことを証明しています。問題は、その技術を活かせる土壌を日本国内に作れるかどうかです。
空とデータを誰が握り、誰にとっての"スマート"を実現するのか?
香港の展示会場を後にしながら、そんなことを考えていました。中国の「低空経済」は確かにすごい。でも、手放しで「未来はこれだ」と言えるほど単純な話でもない。
日本が選ぶべき道は何なのか。それを考える上で、今回見てきた中国モデルは重要な参考事例になるはずです。
記事内で言及したデータの出典
深圳1,730社/960億元 : 深圳市工信局2024統計
市場規模3.5兆元 :商務部《低空経済発展行動計画(2024-35)》