デジタルプロダクトパスポートと欧州のサーキュラーエコノミー構想
ハノーバーメッセ2025の展示の中で、見た目は地味だけど、実はとてもインパクトがあったのが、デジタルプロダクトパスポート(DPP)の取り組みです。(写真はEUのブース。新たな規制や取り組みは手枷足枷ではなくて、新たな産業、経済発展に寄与する、未来社会への貢献になるという切り口で情報を発信していた。)

この制度は、製品の原材料調達から製造、物流、販売、使用、廃棄・リサイクルに至るまでの全ライフサイクル情報を可視化するというもの。原材料から製品までのトレーサビリティをEU共通のデータ基盤で管理する画期的な取り組み。なんか難しいですよね。
私の企業クライアントの方々からもこのDPPについてたくさんご質問をいただくくらいに、日本人にとっては理解が難しい制度の話ですが、あらゆる切り口で解説するセミナーや展示が今回のハノーバーメッセには多くあり、その本質、目指すところが見えてきたという感じです。
我々の手元にある携帯電話、アルミや樹脂が何グラム、電池にリチウムがどれくらい使われていて、それがどこの国から来て、生産の過程でCO₂が何g排出されて…という風に、部品の一つひとつ、素材の一つ一つまでデータを記録していくんですね。そのデータに誰でもQRコードでアクセスできる世界が始まろうとしています。
これはもう、単なる環境ラベルや成分表示じゃない。
モノの一生をデジタルで“記録し続ける”という、新しい社会のインフラの話なんです。
Gaia-Xと産業ごとの“なんとか-X”シリーズ
このDPPの仕組みを支えているのが、EUが進める「Gaia-X(ガイアエックス)」というデータエコシステムです。。
もともとこれは「ヨーロッパの産業データを、自分たちの手で管理できるようにしよう」という発想から始まったプロジェクトで、クラウドやIoTプラットフォームのように米国などに依存しない、欧州独自の基盤をつくる狙いがあります。これを象徴するのが”Data Sovereignity”(データ主権)という言葉(写真下)で、会場のあちこちのブースで見られました。

GAIA-Xとつながる形で、業界ごとに枝分かれした構想が次々に立ち上がっています。
自動車産業:Catena-X ドイツの自動車大手が主導で推進
製造業全般:Manufacturing-X SMEと呼ばれる中小製造業をデジタル化に巻き込む
半導体分野:Semiconductor-X 欧州の半導体自給戦略、生産効率化、競争力維持
それぞれの“X”が、製品のライフサイクルデータや部品間の関係性、温室効果ガスの排出量、リサイクル率などを共有できるようにするための共通言語・共通仕様をつくっているわけです。
しかもこの“X”構想、実は日本ともつながりがあるんです。
日本の経済産業省が進めているのが、「ウラノスエコシステム」というデータ連携基盤。GAIA-X同様にデータ主権を維持すべく、日本も同様の取り組みが始まっています。
画像下:経済産業省 ウラノスエコシステムのページより引用

ウラノスって何?というと、ギリシャ神話の“空の神様”。ガイア(大地の女神)とのペアですね。つまり、Gaia-X(欧州)とOuranos(日本)で、天地をつなぐという壮大な名前の連携構想になっている。
このネーミングはなかなか知的ないいセンスですよね。
DPPの仕組みと応用例
DPP——デジタルプロダクトパスポートの仕組みは、非常にシンプルに言えば、QRコードで“全履歴”にアクセスできるようにするということです。製品ひとつひとつに個別のQRコードがついていて、それをピッと読み込むと——
この製品の素材はどこから来たか
- 自分の手元に来るまで、どれくらいのCO₂が出たか
- 誰の手を経てここに届いたか
- リサイクルはどの程度可能か
- …といった情報がすべて出てくる。それがDPPの基本的なイメージです。
製品を構成する部品、その部品を構成する素材、その素材の出どころや加工の工程……
すべてが階層的に積み上がって、最後に「このスマホにはCO₂が何g、リチウムが何g、アルミがどれだけ」という情報が一つのパスポートにまとまる。
そしてそれは、工場の人だけでなく、消費者もスマホでそのQRを読み取ればアクセスできるという点がポイントです。
行動変容と新しいサービスの可能性
このDPPが導入されることで、まず大きく変わるのが消費者の行動「モノの選び方」だと思います。。これまで「デザインがいい」「価格が安い」で選んでいた製品を、今後は
「どれだけ環境負荷が少ないか」
「EUや自国由来の素材、材料をどれだけ使っているか」
といった観点で比較できるようになる。。
買い物の意思決定が、カーボンフットプリントやリサイクル率といった“見えなかった情報”に基づくようになる。これは、まさに消費行動の地殻変動とも言える変化です。
さらにこの情報は、企業にとっても宝の山になります。
製品のDPPデータに民間企業がアクセスできるようになりますから、購入後のユーザーに合わせたサービスの設計ができるようになります。
・メンテナンス提案、消耗品やアップグレード部品の案内
・使用状況に応じた保証の延長やサービス追加
などなど“製品を買った後の体験”を個別に最適化するサービスが可能になる。
さらにセミナーで印象的だったのが、「サードパーティの新サービス開発」の話。
QRを読み取って「この製品は5年間で何百回充電されてるから、電池の劣化率は◯%、残存価値は◯◯円ですね」というふうに、一発で中古価格を提示するアプリ開発も現実味を帯びています。
保証書・修理履歴・出荷国などもすべて一元管理されれば、DPPを使ったカスタマーサポートの再設計も進んでいくはずです。
企業対応と導入スケジュール
新たな規格や制度ができる。そこにはもちろんビジネスのチャンスがあるわけで…
展示会ではSiemensが「PATH・ERA(パスエラ)」というソリューションを発表。DPP対応が必要な製品が今後急増することを前提に、サプライチェーン全体への導入支援サービスを展開するとしていました。

写真上はCatena-Xの仕組みを活用し、EVバッテリーの素材構成や環境負荷、リサイクル可能性などをトレース可能にする仕組みを説明しています。
EUとしては、2027年から段階的にDPPを導入予定で、初期対象は:
1)EVバッテリー
バッテリーパスポートという規格で運用される。すでに多くの企業やスタートアップが対応に向けたサービスやソフトウェアを市場に投入している。
日本のウラノスもバッテリーリサイクル分野の活動が最初に立ち上がる見込み。
2)ワインなど欧州の主力産業となる食品
これは生産者とブランドを守る施策の意味合いが強い。特定の畑の特定の年代のワインの生産量と流通量を厳しく監視することが可能になります。
3)テキスタイル(衣類・繊維)など
ブランド品の域内の流通、中古市場へと流れていく物流の可視化。偽物の対策が可能になる点は大きいですね。フランスの工房で作られた本物ですよという証明が容易になります。
2027年に最初のQR付き製品が流通開始、その後、徐々に適用範囲が広がっていくイメージです。家電など我々が日常的に使用する製品にもQRが付けられることになります。
「まだ先の話」ではあるけれど、「何もしないで間に合う話ではない」という空気感がありました。
まとめ:DPPが変えるのは“製品”ではなく“社会”
QRコードを入口にして、モノの一生を記録し、その情報を誰もが見て、使って、選べる社会にする。
DPPは、そのためのインフラです。
それは「製品管理ツール」ではなく、「サービス設計の再構築」でもあり、「サーキュラー経済への基盤構築」でもある。
製品開発・販売・サポート・リユースのあらゆる関係者にとって、これは構造の話であり、戦略の話なのだと感じました。
このプロダクトパスポート、二酸化炭素排出量のサプライチェーン全体での積算、ブロックチェーンを用いた管理プラットフォーム、バッテリーのセカンドライフから廃棄、リサイクルの流れといったテーマは、非常に膨大で語るべき内容が多くあるトピックです。今回の説明もだいぶかいつまんでお話ししているものになります。もっと詳しく知りたいという方はぜひご連絡ください。
次回予告:ロボットは“動く腕”から“動く意思”へ
次回は、ハノーバーメッセ2025で語られていたもう一つの重要なテーマ——
AIとロボティクスの進化についてお届けします。BMWのHelix実証、NVIDIAのPhysical AI、デジタルツインによる人格形成。「動く腕」だったロボットが、「考えて動く存在」になっていく過程を語ります。どうぞお楽しみに。