欧州のエネルギー転換と水素社会
前回に引き続き、ハノーヴァーメッセのレポート、今回は、欧州のエネルギー転換と水素社会について。
ハノーバーメッセの会期中、ハノーファー市内のホテルはとんでもない価格になります。普段の3〜5倍なんていうのもざらで、ちょっと現実的じゃないんですよね。なので私はいつも、郊外の都市から電車で“通勤”するスタイルをとっています。今回は、ドイツ北部の地方都市・オスナブリュックに宿をとりました(写真はオスナブリュック中央駅)。

朝、ホテルを出て駅に向かう途中、駅前の立体駐車場の壁面に大きなイラストが描かれているのを見つけました。バス、トラック、建物、町の外の風車……すべてが電気で動く社会の姿がそこには描かれています。

ドイツが推進する“All Electric Society”、化石燃料を卒業して電気で世の中を動かす社会へ変えよう!まさにイメージそのもの。地方都市の街角にまでその思想がしっかりと示されていることに驚きつつ電車で会場へと向かいます。
欧州が目指す“電気が軸になる社会”
展示会場に到着してみると、やっぱりありました。「All Electric Society」という文字と、電化社会のビジョンを強く打ち出した展示。

ヨーロッパが今、何を目指しているのか。
一言でいえば、「化石燃料をやめて、電気を軸にした社会へ切り替えていこう」ということです。背景には、ロシアとの関係悪化によるガス供給リスク、気候変動への対応、そして何より再エネ比率の急上昇があります。たとえばドイツでは、電力のうち約55%が再生可能エネルギーで、そのうちの3割を風力が占めています。EU全体では25%の再エネ比率ですが、2030年にはそれを45%まで引き上げようとしています。
ただし、ここで大きな課題が出てきます。そうです再エネは不安定なんですね。
——国のエネルギー、風任せ、太陽任せで本当にいいの?
日中は風が強くて電気がたくさん作れる。でも夜はどうするのか。晴れた日はいいけど、曇りが続いたら?
ドイツの郊外にいくと、ここ数年でソーラーパネルがすごく増えたという印象を持ちます。ここで昼間に発電した電気を夜に使いたい。バッテリーに貯めておけばいい。でも重くて大きいしコストも安くない。
そんなときに登場するのが、“電気を運ぶ手段”としての——水素です。
なぜ水素なのか? 昼の風を夜の電気に変えるという発想

上の写真はTÜV Nord(ドイツの認証機関)の展示パネル。水素は「エネルギーキャリア」としての役割を担います。風力や太陽光でつくった電気を、使い切れずに捨ててしまうのはもったいない。だからその電気で水を電気分解して水素にしておくんです。水素にしておけば、タンクに入れて保管しておけるし、夜に燃料電池で発電して電気に戻して使うこともできる。つまり、昼の風を夜の電気に変えるようなイメージです。
もちろん、バッテリーもあります。ただ、風車の足元に大容量バッテリーを置いて管理して、というのはコストも重量も重たくて大変。だったら水素にしておいたほうが軽くて運びやすいし、規模を拡大するにも柔軟性がある。
ちなみに、水素にもいろいろ“色”があるんですよね。グリーン、ブルー、グレー、ターコイズ……。
会場ではやっぱり“グリーン水素”が主役でした。再エネ由来でCO2を出さない、いわば一番“いい”水素。日本でも川崎重工の専用船でオーストラリアから運んでこようとしているのが、このグリーン水素(オーストラリアの砂漠の太陽光由来)です。
このあたりからも、水素は「理論上のすごい技術」ではなく、「今ここにある社会実装」になり始めていることが強く伝わってきます。
ドイツの水素インフラ計画と地域別プロジェクト
展示会で印象的だったのは、ドイツ全体が「水素を使った社会をどうデザインするか」という問いに対して、国家レベルと地域レベルの両面から本気で動いていることです。
ドイツ政府は2030年までに、グリーン水素を11.3ギガワット分、つまり原発およそ10基分に相当する量を国内で生産しようとしています。さらに、海外からはその約5倍にあたる53ギガワット分の水素を輸入する構想まである。
で、それをどうやって運ぶのかというと——専用のパイプラインを9,040kmも敷くという計画です。東京から沖縄まで直線で1,500kmぐらいですから、その6倍の長さ。ちょっとした“国家的インフラ工事”ですよね。
以下の写真「Hydrogen Germany」のブースでは、2030年代の水素需要と供給網が示されていました。

こうした数字を見ると、これが“コンセプト”ではなく、“実行計画”なんだということが伝わってきます。
そして、もう一つ重要なのが地域レベルの取り組みです。ノルトライン=ヴェストファーレン州ではすでに60件以上の水素プロジェクトが動いていて、鉄鋼・化学・物流といった産業拠点を結ぶようなネットワークが構築されつつあります。その活動を州政府の担当者がセミナーで誇らしくアピールするという空気感。

民間企業の動きも活発。産業用のガス大手のAir Liquideは「Trailblazer(先駆者)」という名前の水素製造拠点を中心に、同社の既存の産業ガス供給ネットワークと連携した展開を始めています。

「中央集権的な発電から、地方単位の分散型のエネルギーネットワークへ」——そのシフトが、水素という存在を軸に進行しているのを感じます。
可搬型水素電源による過渡期の対応
さて、ここまで水素社会への大きな構想は描かれているものの、パイプラインが一晩で完成するわけではありません。だからこそ、今まさに注目されているのが「過渡期のソリューション」としての可搬型水素電源です。

ここでポイントになるのが、“オフグリッド”という考え方です。
発電所から電気を送ってもらうのではなく、水素という“エネルギー”を運んでいき、そこで電気に変える。送電線に頼らず、自前で電気をまかなうという発想です。
風が強い日に風車を回して、足元で水素をつくる。そして、それをボンベに詰めて隣の村に届ける。そこで上の写真のような可搬型の水素発電装置につないで電気を取り出す。
つまり、再エネ+水素+モバイル発電ユニットの組み合わせによって、電力インフラに縛られない暮らしや産業が可能になるということです。

会場ではさまざまなタイプの水素発電ユニットが展示されていました。ユーロパレットサイズのものから、20フィート、40フィートのコンテナ型まで。用途や設置場所に応じてサイズを変えられるというのも、この技術の面白いところです。
特に印象的だったのが、アメリカのGMが開発した「HYDROTEC」という可搬型燃料電池ユニット。小型で持ち運びも容易なため、カリフォルニアの山火事被災地で実際に使われた実績があるそうです。

「電気が来ない地域に、水素を運んで発電する」。言葉にするとシンプルですが、これは災害時や辺境地、あるいはオフグリッド型の生活インフラにとって非常に大きな意味を持ちます。
この柔軟さが、水素というエネルギーキャリアの“現実的な強み”だと改めて感じました。
直流電化という次のステップ
もうひとつ、今回のハノーバーメッセで強く印象に残ったのが「直流電化(DC化)」の動きです。

ところが、私たちの一般的な電力インフラは“交流(AC)”が前提。つまり、せっかく直流でつくられた電気を、いったん交流に変換して、最後また直流に戻すという、なんとも無駄の多いことをやっているわけです。この変換過程で当然エネルギーのロスも発生します。
でも、そもそもなんで交流なんだっけ?と思い出してみると、理由は“遠くまで電気を送るため”なんですよね。
交流は、発電所から高電圧で遠距離を運ぶのに適している。でも、風車やソーラーパネルがすぐ隣にあって、そこで発電してその場で使うなら、別に交流にしなくてもいいじゃないか——そういう話なんです。
展示会でも、そうした背景を受けて、「最初から最後まで直流でつなぐ」産業インフラの構想が複数のブースで提示されていました。
たとえばPhoenix Contactが紹介していたのは、工場やデータセンターなど直流に最適化された設備、蓄電しておくバッテリーシステム、EVのDC急速充電インフラなどを含めた**“DCグリッド”**というコンセプト。

そして私がふと思い出したのが——エジソンとテスラの話です。
かつて、一般家庭に電気を直流で供給したかったエジソンと、それに対抗して交流を推したテスラ。送電効率や安全性など議論がされました。結果テスラが勝ち、今の私たちの交流インフラができあがったわけです。まさにその勝負は映画『エジソンズ・ゲーム』(原題:The Current War)に詳しく描かれていますのでよろしければぜひ。
今になって、再び“エジソンが考えた直流のほうがよかったかもね”という声が上がるのも、なんだか面白い話です。
この直流電化の話はことあるごとに語られてきたトピックで、過去のハノーヴァーメッセでも展示があったものですが、再エネの比率が高まったことで、ここにきてグッと現実味が出てきたなという印象です。
これもまた、「All Electric Society」というビジョンを支える、もう一つの現実的なステップだと思います。
まとめ:電化社会を支える現実的な道筋
ハノーバーメッセ2025で感じたのは、欧州が描く「電化社会」のビジョンが、もはや単なる理想論ではなく、制度・インフラ・実装技術の三層で具体化されているということでした。。
All Electric Societyという言葉に象徴されるように、エネルギーの中心を電気に据え、それを再エネで支え、水素や直流技術で補完していく——そんな構造的な転換が、静かに、でも着実に進行しています。
欧州はなぜそんなにEVにこだわるの?というのもこの背景がわかると合点がいきますよね。新しい車を売りたいとか、新しい規制で市場のシェアをリセットさせたいという意味合いもありますが、社会全体の脱化石燃料、電気中心社会へという流れに最も収まりがいいのはEVであり水素燃料電池車。物流が占めるエネルギー量は市場全体の約3割と見られていますから、影響が大きい分野です。
印象的だったのは、それぞれの技術や制度がバラバラに語られているのではなく、“全体設計の中で位置づけられている”ことです。
たとえば、水素は再エネの不安定性を支えるだけでなく、地域産業の再編にもつながるインフラ要素として扱われている。直流電化は送電ロスの解消という技術論にとどまらず、工場や物流の設計そのものを見直す契機になる。
つまり、「テクノロジーの展示会」ではなく、「社会の設計図が見える場所」としての展示会。
それこそが、ハノーバーメッセという社会を見据えることができる展示会の面白さでもあります。
次回予告:モノの一生を追跡する仕組みとは?
次回は、「デジタルプロダクトパスポート(DPP)」とサーキュラーエコノミーの話題を深掘りします。
製品に付けられたQRコードが、モノの素材・製造・使用・廃棄・リサイクルまでを追跡する。そんな仕組みが欧州でど始まろうとしています。現地で見て感じたことをお届けします。
どうぞお楽しみに。